高槻市の由来
高槻の地名の由来は、『古事記』や『日本書紀』の中で高月と呼ぶようになったということから来ている説や高月読杜(たかのつきよみのやしろ)の近辺地域から高槻になったという説もあります。
山地、谷底平野、丘陵地、台地、沖積低地という5つから成り立っている地域です。年間平均気温は、16℃前後で、湿度は67%前後といわれていて、市街地の形成に伴い、ヒートアイランド現象も起こる地域になっています。
江戸時代には西国街道が参勤交代などに利用されていました。また明治時代には隠れキリシタンの里として発展したともいわれています。
高槻城は、南北朝期の入江氏の居館に始まり、永禄12年(1569)に和田惟政が城としての基礎を固め、天正元年(1573)に高山右近が町屋を城内にとりこんで堅固な城郭を築きました。また右近は熱心なキリシタンで、キリスト教を手厚く保護し、天主教会堂を拠点に布教をすすめてたと伝えられています。
江戸時代、重要な役割を果たした高槻城は大坂夏の陣ののち幕府による直営改修工事が行われ、幕末まで高槻藩3万6千石の譜代大名永井家の居城にされていたそうです。多数の陶磁器や漆椀にまじって羽子板や将棋駒、人形なども出土しており、当時の生活がわかる貴重な資料となったそうです。
高槻市の産業
産業ではかつては、山間部において京菓子向けの寒天作り盛んでした。しかし市街化が進み、平年の気温も上昇したのでほとんどの農家で今は作られていないです。酒造りも盛んでオリジナルブランドで日本酒、また地ビールを生産したり、北部はどぶろく特区として、どぶろくの生産も行われています。
ほかには、いちご、しいたけ、トマトなどが特産物として栽培されています。観光地では摂津峡温泉、高槻森林観光センター、高槻樫田温泉、本山寺と神峰山の森(大阪みどりの百選)摂津峡、普門寺庭園などがあります。
特に摂津峡は有名で、大阪府高槻市を流れる芥川上流に広がっている渓谷の観光地となっています。季節の彩も美しく、北摂随一の景勝地とされています。
約4kmにわたって夫婦岩、八畳岩などの奇岩、断崖、滝などがあり日本三大奇景の一つともされています。風景100選・大阪みどりの百選等に選定されています。
また摂津峡はサクラや紅葉の名所として有名です。3000本のソメイヨシノが植えられていて、毎年4月上旬に「摂津峡さくらまつり」行われます。
そのほかに季節的にはもみじ谷、クヌギ谷、白滝、中腹展望台や生駒山が一望できるコースやWもみじ狩りができるコースもあります。
隣接している島本町は名水でも有名で澄んだ水が豊富な、有名なサントリーの山崎蒸溜所がブランド名になるほどの質の良いお水が出る地域です。
近くの茨木市の産業は中央卸売市場をはじめとする北大阪流通センターをなど流通的な経済的役割を担っているエリアでもあります。北大阪流通センターは11棟からなり、防災センター、管理事務所、カフェテリア(食堂)、売店、浴場、会議室、仮眠室(168室)、休憩室、女性専用室(シャワー室<3室>、仮眠室<4室>、休憩室)等を備えた大型の流通センターです。
このように流通商業の中心になっているのですが、入れ替わりも多く、複数の大企業の工場移転・撤退が多いことから整理もこのあたりの課題とされています。歴史では楠木正成が茨木城を作ったことでも知られています。